アメリカ大統領選挙トランプ氏への反応と思考停止集団主義ニッポン
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いろいろわかってる風に息巻くのでなく、まだまだ葛藤中のかぁさんがロンドン、シアトル、東京での子育て奮闘する中での気づき、迷い、疑問、思い。
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11月のある日
ドアを開けると学校から帰ってきたぶぅさんの顔がこわばっている。
「ママまずいよ、トランプさん勝っちゃうよ」。
帰りのスクールバスがちょうど開票中のタイミングで上級生たちが逐次情報をシェアしてくれたようだ。
ねぇどうなっちゃうかな。Nuclear bombがまた落ちるかもしれないの?、World war Ⅲ が始まっちゃうかもしれないの?
あらららら、不完全な情報の欠片が小さな頭の中に錯綜している。聞きかじりで不安が先走っている。きちんと説明してあげなければならない。
親としてどんなふうに説明したらいいのだろうかと頭が痛い。
3rd greaderだってみんな知ってる、discriminationはだめ、meanはだめ。どうしてそんなこと言ってても選ばれるの?
ねぇ、そもそもwarってなんのためにするものなの?
ファイトじゃなくてお話し合いしなきゃだめなんじゃない?
日本はwarはしないって決めてるんだよね?阿部さんはどう考えてるの?
ぶぅさんはまだ信じてるし、信じていてほしい。かぁさんも信じたい。
人はみんな自分がかわいい。けれど自分と違うものとの繋がり、思いやり、共生があってこそ安心で幸せなんだ。そしてきっと誰もがそれを信じ望んでいると。
優しさはね、もらうと嬉しくなって他の人にも優しくしたくなるでしょう。だからぶぅさんの一つの優しさもどんどん繋がっていくんだよ。
かぁさんは願いも込めていつもよくこう話す。
そうしたらどんどんどんどん繋がって世界中みんな優しくなるよね。
ぶぅさんは嬉しそうにそう返す。
「優しさ」が「憎しみ」に変わっても同じように繋がっていってしまうことをぶぅさんはまだ知らない。
何から話をするのがいいだろう。
感じた二つの違和感
日本の報道への違和感
いろいろな観点があっていいと思うし、自分と違うからの違和感なのではなくて。
なんだか入ってくる情報がどうも限定されているなぁという印象。
そして開票結果が出た途端好意的なコメントが増えだすこのかんじ。なんだかお祭り感覚、大きな流れにさっくり乗る感じ、。
彼は「バカなフリ」をしていただけなのよ!、と有名な女性アンカーが笑顔で話す。選挙のパフォーマンスとして過激な言動をしてみせていただけで優しいひとなのだという。
でも。仮に、仮にもしそうだったとしても。
「過激な言動」、、、。その言葉ではきちんと伝わっていない。その言動が人種差別、女性蔑視であり、それをしていた人が大統領になるということは、それら自体を肯定することになってしまうということ。
そして簡単に想像できる、それに影響される人々、とくに親たちの熱狂に扇動され簡単に行動を起こしてしまう子供たち。
そして実際アメリカ各地でトランプ次期大統領が当選以降、移民や黒人などのマイノリティへの差別に基づく脅迫行為や嫌がらせの報告が相次いでいるという。
選挙の結果を受けてデトロイトの中学校でランチ時間に「あの壁を作れ!」と叫ぶ生徒たち。メキシコとの国境に壁を作るべきと訴えていたトランプ氏の発言から触発されていると考えられる。
アイオワの高校。ヒジャブをつける女生徒はランチルームで国に帰れと言われる。彼女はアメリカ市民だ。廊下で黒人生徒の前を横切る際に「トランプ!トランプ!」と唱える。
もっと身近なレベルでは、アメリカ在住の日本人の知人からも公園に行った際に子供が白人の子どもに心無い言葉をかけられたなどなど。
そしてかぁさんの大きな違和感は、この頻発するヘイトクライムについての日本での報道の少なさ。
また著名人がテレビで声高に反トランプデモについて、「選挙結果に反対したって民主主義を否定しているだけだ」と否定してしたり顔。
民主主義はなにも選挙だけじゃない。おかしいと思うものに声を上げ、これ以上のヘイト思想の広がりを阻止したいという意思表示も民主主義のひとつのかたち。選挙制度や代表民主制の不完全さは声を上げるという余地が必要なのだ。デモはテロでもなんでもない。
人々の反応への違和感
そしてもう一つの違和感。
そう悪いことばかりでもないみたいよ、と報道を鵜呑みにする思考停止。
ああ騒いじゃっててみっともない、というシニカル気取りの思考停止。
どうなんだろうねー、とどちらにも寄ってしまわないように政治的主張はタブーだ的思考停止。
どちらにしても意見を交換し合う意思はない人の多さが今の日本の特徴だなぁ。もちろん全員ではないけれど。
開票の数日後古くからの友人たちとの会話の中、その中にアメリカ駐在が決まった子がいて話そうとしてみた。びっくりだよねー、どうなっちゃうんだろうねー、の後に駐在先が青いところでよかったね、と。みな一斉に顔が曇った。続かないようにまじめにならないように話を逸らす。
「話題の人!」「株価上がって得しちゃった!」
政治の話につきまとうタブー感。きっとこれが日本ではスマートなその場のとりなし方だったのだろう。たしかにいろいろな意見があるから「よかったね」なんて言っちゃダメだったけど、子供の学校での差別について、って話を続けたかったんだ。かぁさんのやっちまった感。
とまぁ、ただかぁさんがうまく人間関係を作れていないってことなのかもしれないけれど。思想的なことについても学生時代から語り合う友人などいなかったかぁさん。兄とだけだったなぁ。
違和感からの考察
① 政治を考える癖ができていない
政治観、思想を語ることへのタブー視。右翼、やくざ、新興宗教といった極端なイメージ。
長い平和からの危機感の薄さ、何も変わらないだろうという慢心。
今が幸せだから今のままでいいという慢心。
受け身型の教育環境。
考えることを放棄した人々が大量にうまれている。
② メディアの影響が肥大
考えることを放棄している状況で、個々で情報収集し個々でこういう考えもあるだろうかああいう考えもあるだろうかと議論も行わないため、メディアでの空気が支配する力が甚大。ほんとうに巨大。
大多数が支持することが正と感じてしまう傾向も強くなる。
③ 思考停止集団主義の危険性
独裁戦争国家のそれ、メディアや教育による洗脳状態を生み出す素地。
マスコミの一主張からの個人攻撃で国民そろってターゲットを攻撃してしまう例も多い。集団いじめ。これはただ一つの主張であってそうでない可能性を見ようとしない人が想像以上に多い。
「メディアで言っているしみんなもそう思ってるんだからそうなんだ」という思考停止の状態で、人への嫌悪、攻撃を正当化してしまう。
疑問を持たないことはほんとうに怖い。この先、きちんとみなそれぞれが疑問を持ち、知り、考え、議論をしていかなければならないことはたくさん出てくるのに。
で、子育てへの振り返り
ぶぅさんのスクールバスでの様子からもわかるように、このアメリカンスクールでは小学生でも中学生でも知ろうとし意見を持ち議論をする。これはアメリカすべての地域でではないし(ある程度well-educatedな家庭が多い地域特有かもしれない)、まだ意見を持つ土台がない場合誰かの鵜吞みであることが多いし子どもと政治の距離感について賛否あるかもしれない。が、少なくとも自分で疑問ンを持ちもっと知りたいと情報を集め、考え議論をするという人間になっていく素地をしっかりと作っていると感じる。
今後、日本という島国もやはり変わっていく。お互いが同じであることを前提に空気を読み大きい流れに合わせていく、ということが通用する日本ではなくなっていく。ビジネスの世界でも教育も文化活動も、どんどん入ってきてどんどん出ていってぐるぐるぐるぐる混ざり合ってそれぞれが違うことが当たり前という環境になっていく。そんな予測などできない未来へ送る子どもには、「大きな流れであっても自分で疑問を持ち、もっと知りたいと情報を集め、考え、人にきちんと伝えまた相手をきちんと聞き理解を深め合う」能力がなにより必要な力となっていくだろう。
ちなみにアメリカ人には集団主義的な部分がなくて日本人には個人主義的な部分がない、、といったことではないと思う。双方どちらもある。
やれ受験勉強だ、英語だ、情操教育だ、、と子どもの将来を思って親はいろいろ努力をするけれど、基本親が子供に与えてやらなきゃいけないのはこの自分で考える能力を培える環境ってことなのかもしれない。でも、今の日本でそれやったら浮くよねぇ。日本の小学校で政治の話なんてしだしたら、よその親御さんに危険人物扱いされちゃうかもしれないものね。。