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自分のそんな内側を手繰り寄せたくなった中年思春期かぁさん。

注:今週のお題が目に留まり、ビジネスに関係なくかぁさん中身だだ漏れ記事になります。すみません。。

 

高校に入学した頃読書記録の課題で散文を毎週提出する課題があった。当時の現国の先生が「あなたはこれを読むといいと思うわ」とある本を何度も勧めてくれた。本を読むことは好きだったので、まぁいつか読もうと思いながら、でも”先生”が勧めている本だしと特に気にもとめず結局ずっと読まないままでいた。

学年が変わりその先生とは顔を合わすこともなくなった頃、ふとその本を手にすることがあった。読みだしてみると、顔がカッと熱くなった。あーーと呟きながらどんどん顔が真っ赤になった。

誰かが自分の意識に気づいてるだなんて思いもよらなかった自分中心の思春期。ほんとうのところそのころのかぁさんは、思春期独特の自意識と思索と感情と感覚がみごとに過敏になってみごとに迷路に迷い込み、大きな波に常に揺さぶられかなり不安定だった。けれど誰にもその内側はバレていないと思っていた。
友人たちと一緒に授業を受け遊びに行きライブに行きスノボに行きカフェで長々お茶をしケラケラと笑っていたが、誰もほんとうの自分のことは知らないだろうと思っていた。特に意識をせずその内側の自分と外側の自分とは切り離したものになっていたように思う。

しかし読書記録で提出していた散文でその先生には思いのほかあけっぴろげだったのだ。書くことを始めると気づくと没頭していて普段のコントロールは働かない。自分で思っている以上に自分になっていた。

 

そう、今週のお題「私がブログを書く理由」というのを見かけて思い出してしまったそんな昔話。

さて、なんで今さらまたブログを書くことにしたのか。

 

理由その① 書いているときが素の自分に近いから

これは今でも変わらない。

人と顔を合わせ話をしているのが外側の自分で、文章を書いているのが内側の自分。

ほんとうは外側の自分でもきちんと伝えられたらいいのだがどうしてもうまくいかない。

もともと友人にも家族に対してもある程度の距離感が常に必要な人間だった。それこそ幼稚園や小学校の頃から今日こんなことがあったなど自分のことを母親に報告することもほとんどなかったという。

自分の体が自分の体でないように感じたり、自分が自分でなくなっているという離人感という感覚が昔から強い。

そんな中、書くということが楽に自分でいられ、とても心地よいということを知った。はじめて気づいたのは小学1年生ではじめて読書感想文を書いたとき。自分と同じポシェットをいつも身につけている女の子の話。そのときはじめて書くことに没頭し一気に十枚書いた。先生も授業が終わっても書き続けさせてくれた。あの時の恍惚とするような高揚感。アドレナリン全開。書くということで自分と他者をつなぎ寄せることができたそんな初体験。

たぶん今また、自分のそんな内側を手繰り寄せたくなった中年思春期かぁさん。

理由その② 書くことによって自分でも理解できる

なんで書くことでそんなにアドレナリンが出たのかと考えると、やはりふわふわぐちゃぐちゃざーざーカオスな感情やら感覚やら思索やらイメージが、文章にすることで見えるようになるこのすっきり感と。見えるようにすることでさらに膨らみ疾走していく思いや思索の欠片や気配やエネルギーを必死に掴まえてまた見えるようにしていく躍動感。ちょっとしたハードなスポーツのようなスリルと達成感。「言語化する」という言葉が最近使われすぎてすり減っている印象だけど、たぶんそういうことなんだろう。

そして見えるようにすることで、自分の中にあったのにそれでもあいまいであった内容を整理し理解することができる。また新しく知った内容についても整理し理解することができる。

人によってはわーわーと話しながら整理理解するタイプの人もいるようだけど、かぁさんはうだうだと書きながらのタイプだね。

理由その③ 人につながりたい、理解されたい

そんなに書くことが自分にとって至要たる作業であるのであったらなぜブログなのか。個人の閉ざした日記でなく世界に開かれたインターネットなのか。

やっぱり繋がれたらうれしいからね。そんな自分の整理のプロセスやひりひりむき出しの内側なんかを理解してくれる人がいるかもしれないというのは、うれしいよね。希望だよね。活力だよね。

 

ということで、ビジネスについて整理をというブログの趣旨からはずれてだいぶぽろぽろとこぼしだしてしまっていますが。しょうがない。だって伝えたくなっちゃったんだから。

 

ちなみに冒頭の本は、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』。苦笑。

もう思春期終わったから言えるもんね。